本屋は燃えているか

ブックストアの定点観測

作家のインタビュー

雑談相手の書店員は、海外ミステリーのヒット作家ピエール・ルメートルのインタビュー記事が興味深かったといいます。

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「その女アレックス」の出版のため来日したルメートルに「ダビンチ」*1がインタビューした記事です。「暴力」「死」「視点」「悪」という形でわかりやすくまとめられています。

暴力描写が過激だと言う声があります。それはリアルだということの裏返しの評価だと受け止めました。日本映画には残酷な場面を美しく描く伝統がありますが、私の作品も題材に向いているのかもしれません。

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小説とはその時代にとっての共鳴箱ですから、死の尊厳が失われている時代にはそういう作品が現れる。私も一世紀前に作家活動をしていたらそのときの死を描いたでしょう。現代の死はシンボルに過ぎないのです。

カミーユは非常に孤独であり、常に怒りを覚えている人でもあります。体が小さいことは、普通の人とは違った視点で世界を観察することにもつながります。彼のそういった新しいものの見方が周囲の人にも伝播していくのです。

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主人公は悪人ではないのですが理不尽な世界と闘うために悪漢へと追い込まれてしまう。第一次世界大戦後というのはそうした不正ばかりが通ってしまう時代でした。そうした状況を描き、自身の倫理観を貫くために世間では不道徳とされる行為をすることが許されるかという問いを発したかったのです。

テレビというメディアは読み返しができません(録画という方法もありますが、再生してまで見る人はあまり多くありません)。そのため作り手は、庭師が植木を伐採するように取材した事実という枝葉を丁寧に落として、受け手が飲み込みやすい形に整えます。善悪の判断など評価が分かれるテーマは本題に踏み込まず、両論併記という形で受け手の判断に任せます。

ですから、何を残し何を捨てるかという判断が重要になります。自身の倫理観を信じ、世間の評価と照らし合わせながら答えを求める作業です。自作を語る作家の言葉は、ともすれば見失いがちになる自分の立ち位置を見つめ直す道しるべになるのです。 

*1:2015年1月号