夏、朝の木陰で開いてみたい本です。
「つるとはな」に連載され大きな話題となった、須賀敦子の未公開書簡を写真とともにまとめた一冊です。
印刷された活字だけでは表現できない著者の質感が肉筆の手紙から伝わってきます。こころを許すともだちの存在がどれだけかけがえのないものなのかが伝わってきます。編集は松家仁之(まついえ まさし)*1、北本侑里。
スマ・コーン、ジョエル・コーン氏が保管してきた手紙55通から構成された本。コーン夫妻のハワイの家には親族の写真にならんで夫妻を訪ねた時の須賀敦子の写真が置かれています。
手紙にはさまざまな「オマケ」が同封されることが多かったようです。上は小さな赤い豆に象牙で作られた象のミニチュアが入っているお土産。下は新幹線の事故を伝える新聞の切り抜き。
手紙のほとんどは余白をぎりぎりまで使って書かれています。
朝日に掲載された書評はその魅力を短く的確に伝えてくれます。
「語り」聞こえるまろやかな直筆
最初の著作が出たのが六十一歳、八年後に他界し、生前の著書はわずか五冊。にもかかわらず、没後に書簡と日記と詳細な年譜を含む全集八巻が刊行。須賀敦子の人生は驚きに満ちているが、最近、全集にも載っていない新たな事実が周囲をあっと言わせた。
イタリアから帰国後、ひと回り以上歳(とし)の若い女性と知り合う。「すまさん」こと大橋須磨子は間もなくアメリカ人と結婚、渡米。以来、二十二年にわたって須賀が書き送った書簡が、文面や封書の複写写真と共にまとめられた。ヨーロッパ文明に惹(ひ)かれた須賀がアメリカの友人とこれほど深い関係を持っていたのは正直意外で、しかも四度の訪問でアメリカを好きになっていたのにびっくり。
手紙の内容はシンプルだが、忙しすぎて部屋が混乱状態なのを「家の中に交通巡査をひとりやとって置くか」と言ったり、参院選の候補者を「これくらいならうちのメダカでも当選する」とか、「インテリという水たまりに落ちないように——生きたい」とか、描写が図抜(ずぬ)けて突飛(とっぴ)でユーモラス。まろやかな直筆からは言葉のリズムや息継ぎ、声すらも聞こえてきそうだ。改めて須賀の文学の特徴は「語り」にあると思った。
ふつう書簡が刊行されるのは大作家で、活動期の短い書き手の手紙が複写つきで出るのは珍しい。須賀への関心の高さがわかるが、作品が小説ではなく回想記のスタイルで書かれたことは大きいかもしれない。人生の締めくくりを意識する年齢に、自身の体験を普遍化する意識を傾けて物語った。そこに読者は切実な声を聞き取り、探偵のようにその実像を追うことが、作品を読むのと同様の楽しみになったのだ。
最期を看取(みと)った妹さんもこんなに親しい友人がいたとはと驚く。口外しなかったのは秘密の物語として心中に留めておきたい気持ちが多少あったからか。もしそうなら謎はこれで終わりではないのかもしれない。 評・大竹昭子(作家) 2016年8月7日朝日新聞
須賀のエッセイは、事実と伝聞、そして一部は古い記憶が溶け合った創作が紡ぎ出した文体にあります。かなり細かい部分まで描写された文章を読むと類い希なる記憶力の持ち主だったように思えます。しかし、それ以上に事実の断片をつなぎ合わせて物語りとする須賀の意識に惹かれます。「人生の締めくくりを意識する年齢に、自身の体験を普遍化する意識を傾けて物語った」ところにあるというのは実感としてよくわかります。
須賀敦子の手紙 [ 須賀敦子 ]
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日本文学全集(25) [ 池澤夏樹 ]
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ミラノ霧の風景 [ 須賀敦子 ]
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