読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

本屋は燃えているか

ブックストアの定点観測

ますむらひろしさんがひもとく宮沢賢治と東北

宮沢賢治さんは数多くの作家の心を捉え続けています。

http://book.asahi.com/S2800/upload/2016120400002_1.jpg

 

伝説のコミック誌「ガロ」の時代から、独特の猫のキャラクターを主人公に、一貫して宮沢賢治の世界を作品化してきた漫画家がますむらひろしさんです。2016年12月04日の紙面に宮沢賢治に寄せる思いが寄稿されていました。

宮沢賢治が生誕120年を迎えた。賢治というと「雨ニモマケズ」があまりに有名だが、これが一部に賢治嫌いを作っているとも言える。国語の先生に暗記させられてトラウマになった方もいるらしいが、実はこの文章を彼は手帳に書き、誰にも見せていない。発表の意思があれば原稿用紙に書き、自費出版の詩集に載せただろうが、あの言葉たちは自身への戒めと願いなのだ。それゆえ、最後の「ソウイウモノニワタシハナリタイ」の後に「南無妙法蓮華経」の文字を書いたのだろう。

 3・11の震災後、「東北がんばれ」とともに「雨ニモ……」が応援団みたいに持ち出されたが、私は嫌な気持ちになった。賢治が本当に発表したがった作品の中にたくさんの癒やしの言葉や深い励ましの声があるのだから。例えば、心象スケッチと名付けた詩集「春と修羅」。 

 

宮沢賢治全集〈1〉 (ちくま文庫)

宮沢賢治全集〈1〉 (ちくま文庫)

 

そこには妹トシを亡くしたあとの慚愧の苦しみから、死者と交信しようともがく心の軌跡が記されている。

「青森挽歌」「オホーツク挽歌」「噴火湾」や「薤露青」「北いっぱいの星ぞらに」では、意識がさかんに夜空に向かう。亡くなった者は本当に何処)に行くのか。その悲しみが「銀河鉄道の夜」につながる。 

銀河鉄道の夜 (280円文庫)

銀河鉄道の夜 (280円文庫)

 
銀河鉄道の夜

銀河鉄道の夜

 
銀河鉄道の夜 (角川文庫)

銀河鉄道の夜 (角川文庫)

 

 

■幻想体験の軌跡

 書斎で作品を書く作家は多いが、賢治は手帳を持ち歩き、野原や林で感じたことを記録する方法をとった。北上川岩手山頂の現場でとらえた空気感は今もそこに存在し、時間を超えて東北という大地の深さを教えてくれる。私は『銀河鉄道の夜』を20歳の時に読んだ。意味不明な言葉が多く、話もわけが分からなかったが、それゆえ魅了され、その後、2度漫画にした。それでも謎がギッシリ。列車の窓から見える景色の恐ろしい美しさはどう描いても描ききれない。ジョバンニやカムパネルラの住む南欧。だが物語の時刻に合わせて星座盤を見ると、なんと花巻の夜空が現れ、舞台がお盆であると気づいた時の震えは、忘れられない。 

宮沢賢治全集〈1〉 (ちくま文庫)

宮沢賢治全集〈1〉 (ちくま文庫)

 

 このちくま文庫版では賢治が推敲し書き直す過程も掲載されている。削られた部分がこれまた魅惑的で、まるでビートルズのスタジオ別テイクを体験するような新鮮さを味わえる。賢治はこの作品を、歳月をかけ3度の改稿をした。3次稿で現れる黒い帽子の男が見せる、すべてがそなわる光景。それがぽかんと現れ、みな消える繰り返し。これを想像するだけで、賢治の脳内を通した幻想体験ができる。この絶景が4次原稿で差し替えられ、何が現れるか想像し比較するとき、この作品がまた新たな魅惑の水脈になる。

■清々しい気圏で  

注文の多い料理店 (新潮文庫)

注文の多い料理店 (新潮文庫)

 

 『注文の多い料理店』の「序」の文章。中学校の教室では感動しなかった難解な賢治の心が、上京後のアパートで読んだ瞬間、私の故郷山形県米沢の山々の色と風になって体の中にサアッと入ってきた。この文庫には東北の特徴的な二つの冬が現れる。「雪渡り」と「ひかりの素足」だ。雪が凍って野原をどこまでも歩ける晩に狐の幻灯会に招待されるという優しい冬。もう一つは吹雪の恐ろしさを容赦なく惨いまでに描き、賢治の内面が噴き出している。 

改編 風の又三郎―ガラスのマント (角川文庫)

改編 風の又三郎―ガラスのマント (角川文庫)

 

東北の季節感を意識すると、秋の新学期に来た転校生を見る一郎と嘉助の視線の違いもたまらなく可愛い。『風の又三郎』からは賢治が教師時代にしっかり子供を観察していたのが分かる。霧の中で迷子になる嘉助が味わう恐怖、里山でさえ、すぐ奥に潜むモノノケの気配を賢治は受信していた。東北の大地は彼にとって巨大にして新鮮な書物だったのだろう。それにしても、これほど見事に常識の引力をすりぬけ、清々しい気圏に浮かんでいた人は、実に稀です。

賢治に魅了された作家はますむらさんだけではありません。「いつか汽笛を鳴らして」で芥川賞を受賞した作家・畑山博*1さんの逗子にある自宅でお話を伺ったことがあります。「宮沢賢治〈宇宙羊水〉への旅」という本を書き終わった直後のことでしたが、畑山さんは賢治の妹のトシと、自分の母親のことを重ね合わせるように語っていたのが思い出されます。 

宮沢賢治「宇宙羊水」への旅 (NHKライブラリー)

宮沢賢治「宇宙羊水」への旅 (NHKライブラリー)

 

畑山さんは経歴を紐解くとわかるように、若い頃大変な苦労をされた作家です。過酷な青春時代を過ごされたと思われないような温和な人柄が私たちを和ませてくれました。そして語ってくれたのが、赤貧の時代を支えてくれたのは母親であり、母親への感謝の思いも含めて、賢治とトシとの絆を描きたいのだと語っていました。畑山さんも亡くなった母親の魂はどこに行くのか確かめるために、遙か厳寒のシベリアまで足を運び、賢治の思いを追体験したのだそうです。

多くの足下の心を揺さぶりつづける賢治の世界は不朽のもののように思います。

*1:平成13年没