本屋は燃えているか

ブックストアの定点観測

円城塔さんが選んだ今年の三冊

2016私の三冊

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円城塔*1さんが選んだ今年の三冊。

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1「プラハの墓地」ウンベルト・エーコ 著(東京創元社

知の巨人、ウンベルト・エーコ待望の最新刊。ナチスホロコーストを招いたと言われている、現在では「偽書」とされる『シオン賢者の議定書』。この文書をめぐる、文書偽造家にして稀代の美食家シモーネ・シモニーニの回想録の形をとった本作は、彼以外の登場人物のはほとんどが実在の人物という、19世紀ヨーロッパを舞台に繰り広げられる見事な悪漢小説(ピカレスクロマン)。祖父ゆずりのシモニーニの“ユダヤ人嫌い"が、彼自身の偽書作りの技によって具現化され、世界の歴史をつくりあげてゆく、そのおぞましいほど緊迫感溢れる物語は、現代の差別、レイシズムの発現の構造を映し出す鏡とも言えよう。

プラハの墓地 (海外文学セレクション)

プラハの墓地 (海外文学セレクション)

 

本が人間をいかに利用して繁殖していくかの好例。

2「HERE ヒア」リチャード・マグワイア 著(国書刊行会

今まで誰も読んだことがない文学
誰も見たことがないアート
まったく新しい哲学
がここにある

窓と作りつけの暖炉のほかには何もない部屋、左上には2014年という数字。ページをめくると、1957・1942・2007……と様々な年代の同じ空間が現れ、さらに異なった年代の断片が共存・混在していく。そして紀元前30億50万年から22175年まで、ある家族の記憶の数々が地球の歴史と一体となって圧倒的なビジュアルで奏でられていく――リチャード・マグワイア『ヒア』はある部屋の一角の物語であり、地球の黎明期から遥かな未来まで、この空間で起こる無数の出来事の物語である。コミック形式の画期的なヴィジョンの完成形として、このジャンルの最大の発明家の一人が送りだす、まったく新しい文学、究極のグラフィック・ノヴェル/アート・ブック、そして深遠なる哲学の書にして驚異の書物がついに登場! *日本版特別附録:1989年オリジナル版・2000年版「ヒア」と、クリス・ウェアのエッセイなどを収録。

内容(「BOOK」データベースより)

HERE ヒア

HERE ヒア

 

 

3「すべての見えない光」アンソニー ドーア 著(新潮社)

重なり響き合う少年少女の時間

世の中にはまれに、読み終えるのが惜しい小説がある。そうしてさらにごくまれに、ひとつひとつの段落を読み終えるのが惜しくなる小説がある。本書はそんな、たぐいまれな作品のひとつである。

物語は章の形で時間を交互に重ねるように展開する。ひとつは、第二次世界大戦下のフランス、サン・マロの町での数日間。もうひとつはその日々へとつながる過去の時間。

重ねられた時間の中には、響きあう二人の人物が登場する。一人は、盲目となったフランス人の少女。もう一人は、工学の才能をみせるドイツ人の少年。

各章はこの二人と周囲の人々をめぐるみじかめの節から構成され、それぞれが短編小説として成り立つような密度をそなえる。

戦火を避け、住み慣れた町を離れた少女と、ドイツ軍に編入された少年には直接的な面識がない。ただそれぞれがラジオにかかわることがあるだけである。

この物語の美しさはしかし、そうした筋の巧みさだけによるのではない。ときに近く、そして遠く響きあう少年少女だけではなく、このお話に登場する多くの人間たちはみな、それぞれにかすかな、ほとんど目につかないほどのつながりで互いに結びついている。それどころか、本や缶詰、模型といった周囲の膨大な物たちも、緊密な関係の網目を形づくる。さらに驚くべきことに、その繊細なつながりは文章を構成する単語同士にまで及び、全体として読み終えるのが惜しい小説をつくりあげている。

物語の終幕に向かうにつれて緊迫感が高まるのと並行して、文章もまたそれ自体の存在感を増していき、最終的には何かの意味というよりも、文章というものそれ自体の美しさを読むような体験が襲いかかるが、これはあくまでも個人的な反応であるかもしれない。

ピュリッツァー賞受賞の本書を、藤井光の美しい訳文で読むことのできる日本の読者は幸せである。

評者:円城 塔 (作家)

すべての見えない光 (新潮クレスト・ブックス)

すべての見えない光 (新潮クレスト・ブックス)

 

読み終えたときの感動は一体何に起因するのか得体の知れない作用だとしかわからず、不安である。  

*1:小説家。1972年生。文學界新人賞(2007年)野間文芸新人賞(2010年)
早稲田大学坪内逍遙大賞奨励賞(2011年)芥川龍之介賞(2012年)咲くやこの花賞(2012年)