なぜ生き延びた被災者が罪の意識に苦しみ、支援者が燃え尽き、遠くにいる人までが無力感にとらわれるのか。震災のトラウマが及ぼす複雑な影響を理解し、向き合い、支え合うためのヒントをさぐります。
「復興ストレス:失われゆく被災の言葉」伊藤浩志*1 著(彩流社)
あの日から6年
復興のかけ声とは裏腹に、被災の言葉は失われていく
諦めや、泣き寝入りになってしまうこと
本当の意味での風化がいま、始まろうとしている
どうしたら現状を変えられるのだろうか
被災者の不安には、生物学的な合理性があることが分かった
気鋭の科学ライターが、最新の脳科学の成果を踏まえ、打開策を探る
3.11が近づくと様々なテレビが集中豪雨的に特集企画を放送します。見落とされてきた問題を掘り起こし、被災者の視点から問題解決の糸口を探ることは必要かつ重要な意味を持ちます。ただ、見るべき番組であっても、視聴者側に立つと見る前から食傷気味になることが多いように感じます。どのチャンネルをまわしても集中豪雨的に被災地からのリポートだったりすると逃げ場がありません。番組それぞれが違った題材を取り上げてても、番組が重なると構成のしかたやメッセージの発信の仕方が似たようなものになってしまいがちです。また、大事なテーマを扱ってはいても読後感が暗かったり、意見を押しつけられたりするととたんに微妙な拒否感が生まれます。「風化させてはいけない」とやたら力んでしまう姿勢も敬遠てしまいそうです。
怪我でできたかさぶたが剥がれ落ちていくように、傷跡や痛みがしだいに消えていくのは生物としては自然な姿です。ですから再び痛みを感じるような気持ちと向き合うのには覚悟がいるのかも知れません。
怪我と風化は似た関係にあります。被災者が抱える不安や悩みを伝えるためには、受け取る側が持つ読後感を変えていくような切り口や努力が必要なのかも知れません。