本屋は燃えているか

ブックストアの定点観測

善悪の基準を週刊誌に求める

書店員が疲れた顔をしているので具合を聞くと「昨日は棚卸をしていたから」という答えです。書店の経営についてはよくわかりませんが「お店の在庫を確認する作業で、ひたすら在庫数をチェックする地味な作業」のようです。作業は夜11時過ぎまでかかったそうです。 

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棚卸のためか、店頭の新刊本も入れ替わっています。新しい表紙を見ると期待の新人あらわる感がいます。今日は入社式で放送局も若返った雰囲気が漂っています。

さて、「暮らしの手帖とわたし」は、朝の「連続テレビ小説」のモデルとなった大橋鎭子さんの自伝で、開店と同時によく売れているそうで、残部僅少となっています。

その右隣にあるのは吉田修一著「橋を渡る」です。もともと週刊文春に連載されていたもので、著者自ら「毎回文春の記事を読みながら書いた」というように、「週刊文春」が重要な位置を占める"前代未聞”の長編小説です。

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どんな内容かと思っていたら、当の週刊誌の最新号(2016.04.07)に提灯記事が掲載されていました。

せっかく週刊文春で連載するのだから、いわゆる「ニュース」を書きたいなと思いました。ニュースってすごい早さで流れていく。この回転の速さを小説に取り入れられないかと、考えたんです。

考えてみれば、小説家も普通の生活者であることに変わりはありません。事件が起きたら、その事件に一喜一憂するのも当然です。ただ、普通の生活人と違うのは、作家の視点が事件を飛び越えて、事件の渦中で翻弄される人間に向けられる点です。

日本を揺るがす大事件に見えるものも、突き詰めていくと、根っこにあるのは人間という個人の小さな戦いなのだと思う。むしろ(主人公)のような小さな戦いこそが、将来的にものすごく大きな変化をもたらす可能性もあると考えながら、連載を進めていきました。

放送局員たちもたぶん同じような考えを持ちながら日々の仕事と向き合っているはずです。ですから、作中にあるように「僕らは70年前の人たちと普通に対話が出来ます。そして、その言葉をきちんと聞き、70年後の人に残せる言葉を話すべきなのでしょう」という言葉に共感を得るのだろうと思います。

前代未聞という時間との関わりについて、著者は小説に週刊誌の掲載記事を持ち込んだわけですが、立ち位置についてはこのように語っています。「正義っぽさ」という言葉が印象に残ります。

いまのニュースのスピード感に鑑みると、読者が自分の「正義っぽさ」を確かめるのに「週刊」のペースがあっているのかもしれません。 

本編の話はネタバレにつながりますが、善悪の基準とはどこにあるのか立ち止まって考えながら吉田さんの新作を味わいたいと思います。