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#エマ・マリス「「自然」という幻想: 多自然ガーデニングによる新しい自然保護」

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「「自然」という幻想: 多自然ガーデニングによる新しい自然保護」エマ・マリス 著 岸由二(訳)(草思社

出身が地方ということもあって、両親は夏休みになると東京を離れて地方を旅しました。

炎天下のムッとするような草いきれ。はるかに霞む野山と広がる水田からは、蝉時雨とカエルの鳴き声が絶え間なく響き、都会生まれの私には、宮沢賢治の世界のように思えたものでした。

「自然が広がっている」と呟いた私に「ここには自然はないの。あるのは全て人がつくた景色なの」と説明してくれた両親の意味が当時の私にはよくわかりませんでした。

その意味がわかったのは夏休みに見たアニメ映画「おもひでぽろぽろ」でした。

山形に旅行した主人公が、旅先に広がる水田風景を見て「この景色は人が作り上げたもの」とつぶやくシーンから、実は日本の農村風景は自然を人間が破壊してそのあとに作り出した人工物であることに気付かされたのです。

人工物が全て悪であるという考えは、一体いつ頃から生まれたのでしょう。おそらく高度成長期の日本で、企業が公害を引き起こしその責任を取ろうとしなかったことに遠因があるのかもしれません。

最近テレビ番組で、全国の河川にはびこる外来種の生物を退治する企画をよく見ます。はびこる外来種を退治して、日本古来の生物を蘇らせようという構図は、どこか既視感を感じます。種の絶滅を防ぐことは多様性を守るという点から意味のあることと思いますが、外来種を根絶やしにしたいという思いにはきな臭さを感じざるをえません。

本書では私たちが当たり前のように受け入れてきた自然保護のあり方を「アメリカ由来のカルトである」と痛快に断じます。人間が人工的に元に戻すこと自体が人為的であることを意味しています。私たちが単純に思いこまされつつある、日本を蘇らせるという流れも考えてみればこれも同じ構図なのかもしれません。