白い巨塔は局所的な災厄で、患者には選択という道も残されていましたが、黒い巨頭には逃げ道があるのでしょうか。手に取る前に出版社サイトを一読することをお奨めします。
「黒い巨頭」瀬木比呂志 著(講談社)
ある意味で、裁判所の組織は、その法的な仕組みや外見とは異なり、戦前日本の組織からピラミッド型ヒエラルキーの上意下達(かたつ)体制を最も色濃く引き継いだものであり、その頂点が戦前の司法省から戦後の最高裁にすげ替えられただけだともいえた。
本書のページをめくる前に、版元の講談社サイトを覗いてみました。著者の瀬木比呂志(せぎ・ひろし)氏*1にインタビュー形式で執筆の動機を尋ねています。広告であることを割り引いてみても興味深い記事になっています。
というのも司法という私たちの社会を支える大きな柱が、人間によって支えられていること、そしてその人間が組織という行動理論の中に浸かるうちに劣化する(例えるなら生臭いテングになり、組織の常識か世間の非常識になる)ことが喝破されているのです。会社という組織の中で働く人ならピンと来るかも知れませんが、社会の秩序維持に欠かせない存在である組織は、密閉したまま放置すると腐臭を発し出します。
「日本人の多くは、裁判官はいささか杓子定基で面白みに欠けるが、正義感を持った清廉で誠実な人物だと考えていると思うのです」
不祥事を起こせば消えてしまう会社のような組織ならいざしらず、法という秩序を支える現場も同じようなものだと言われると、開いた口がふさがらなくなります。報道関係者には基礎的な素養として、管理職層には権力メカニズムの俯瞰地図として人気が出ているのがよくわかります。