本屋は燃えているか

ブックストアの定点観測

原作本を支える宣伝材料(宣材)

テレビドラマの原作本のコーナーは、日替わりのように新しい本が登場しています。出版社も映像関連の出版物には相当力を入れているようで、ポスターや宣伝用のノベリティが送られてきます。書店のスペースは広くないため、せっかく送られてきた宣伝材料も掲載するスペースがないため、そのままお蔵入りになることが少なくありません。 

 

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「世界から猫が消えたなら」 川村元気 著(小学館)郵便配達員として働く三十歳の僕。ちょっと映画オタク。猫とふたり暮らし。そんな僕がある日突然、脳腫瘍で余命わずかであることを宣告される。絶望的な気分で家に帰ってくると、自分とまったく同じ姿をした男が待っていた。その男は自分が悪魔だと言い、「この世界から何かを消す。その代わりにあなたは一日だけ命を得る」という奇妙な取引を持ちかけてきた。僕は生きるために、消すことを決めた。電話、映画、時計…僕の命と引き換えに、世界からモノが消えていく。僕と猫と陽気な悪魔の七日間が始まった。二〇一三年本屋大賞ノミネートの感動作です。

書架に並んでいるのは映画タイアップに伴うオビが巻かれたものです。カバーはこんなイメージです。主人公は猫ですが、役者さんの方が目立つのです。

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そして、届いたポスターがこちら。

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映画の宣伝にむしろ力が入っています。

おもしろいのは、映画とテレビとが同じ時期に公開されるケース。かける宣伝費の違いが比較するとよくわかります。

「64」横山秀夫 著(文藝春秋)の宣材が同時に届きました。上はTBS版、下は映画版です。

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ドラマ版は本のPRに力が入っています。映画版は原作本の存在にはそれほど注意が払われていないように見えます。

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テレビドラマはエピソードを分割して描いてゆくのに対し、映画は一発勝負。そのへんの意気込みの違いが顔に出ている感じがします。

さて、もう一つ届いた宣材を見て驚き増した。原作本の印象が影も形もなくなっています。

「無私の日本人」磯田道史 著(文藝春秋)。内容は「貧しい宿場町の行く末を心底から憂う商人・穀田屋十三郎が同志と出会い、心願成就のためには自らの破産も一家離散も辞さない決意を固めた時、奇跡への道は開かれた―無名の、ふつうの江戸人に宿っていた深い哲学と、中根東里、大田垣蓮月ら三人の生きざまを通して「日本人の幸福」を発見した感動の傑作評伝。」とあるようにバリバリの感動作のようです。しかし、映画化にあたり、表題のままだと集客力を不安視したのでしょうか、かなりあざといものに変わってしまいました。「殿」と呼ばれれば誰だって振り返りますし、「利息」と聞くと心がざわめきます。とどめは「ござる」。コメディのにおいが漂ってきます。映画人のセンスぜんぜん違います。

 

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アベサダの表情に吸い寄せられますね。映画原作本が左下に小さく掲載されているので、わかる人はわかるのでしょうが、書店員としては「なんとかならんものかね」と首をかしげています。