いまや世界を席巻する「オタク文化」。かつては異物として排除された時代から、いまではアナタもワタシも「オタク?」の時代へ。でもその実体は? 「非オタク」自認するノンフィクション作家が、オタクの聖地的ショップで働き、2006 年から2017 年まで「フィールドワーク」しつつその体験と考察をリアルタイムでレポート。で、「オタク」とはいったい何だったのか?
僕はジャニーズやピンクレディ(旧い!)やシャーみたいな人間や非人間キャラにキャーキャー言う人たちを「馬鹿じゃねえの」と思っていたのだが、大きな間違いであることが分かったのだ。人格の淘汰のためにも、キャラ萌えはそれでいいのである。それは君を一回り大きくするのだ。「みなさん。よろしくおねがいしますよ」――大泉実成『オタクとは何か?』 - 草思社のblog
かつては秋葉原に行くと、実際にオタクの人たちが異物としての存在感を主張していた姿をみかけたものです。
夏でもネルシャツを着ている。膨れあがったリュックを背負っている。丸めたポスターをアンテナのようにカバンに詰め込んでいる。近くによると室内干しの洗濯物の匂いがする。メガネを掛けて太っている。下を向いて足早に雑踏を駆け抜ける。専門店で深い知識を語り合っている。目が据わっている・・・。今秋葉原を闊歩しているのは外国語を話す人ばかり。なかなかそれらしい人を見ることができなくなりました。(池袋に行けば女性オタクの人たちがいるという話を耳にしましたが確かめていません)。
何かに熱中すると周りのことが見えなくなることは誰でもあります。自分の身なりも気にならなくなるくらい一つの事に打ち込む人は芸術の世界にゴロゴロしています。
オタクが排除されるきっかけとなったのは、一部の人が起こした反社会的行為であったような気がします。大多数の人は「いい迷惑だ」と感じていたのに違いありません。オタク的に見える人々が姿を消した背景に、非寛容化する社会がある気がします。異物わりも「違和感」の方が不気味です。