「山一證券復活を目論む男の人財力」永野修身*1 著(河出書房新社)
「これは内閣の判断です」・・・歴史は何度でも繰り返します。
今から20年前の1997年11月24日、当時“4大証券”とうたわれた「山一証券」が自主廃業に追い込ま れました。株価の急落と損失隠しが引き金となって破綻した事件です。
世間を揺るがした事件は、時間とともに忘れ去られていきますが、
事件の渦中にいた人たちの中から「今だから語れる」とばかりに
知られざるいきさつや秘話が本になって出てくることがあります。
20年経過すると当時の利害関係者も表舞台から去り、
ものが言えるようになるからかも知れません。
当事者が語る「時効スクープ」には、都合の悪いことは掲載されていませんが、
事件をもう一つの視点から見ることができます。
いくつかの視点を組み合わせることで、重複するものとそうでないものが鮮明に見えてきます。
「過去に学ぶ」とは見えてきたものをもとに、
なぜそうなったのかを検証して、次の世代に繋げることなのでしょう。
#アナザーストーリーズ 山一證券破綻の回。涙の記者会見が印象深い野澤社長が社長に就任したのは破綻の3か月前。しかも会社の不正を知らされていなかった。酷い話。相談に行った大蔵省から自主廃業せよと申し渡され、「何とかなりませんか」と言うと、「これは内閣の判断です」と。本当にお気の毒。 pic.twitter.com/oi31vZkdv6
— ミスターK (@arapanman) 2017年4月14日
「私らが悪いんです。社員は悪くありません」
山一が経営破綻した日の記者会見で号泣する野沢正平社長(当時、79)の姿は、強烈な印象を社会に与えた。
約85人の部下を率いる千葉支店(千葉市)の副支店長だった永野修身さん(59)は、その様子を支店内のテレビで同僚らと見ていた。「ちきしょう」と、あちこちで声があがった。「(営業で他社に対し)千葉では連戦連勝だった。一体なぜ」と思ったという。
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