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原爆とダンジョン

きょうの書店のランキング。ここのところ注目を集めているのが「原爆供養塔 忘れられた遺骨の70年」堀川惠子*1 著(文藝春秋)です。ノンフィクションの大賞である第47回大宅賞を受賞しました。

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広島の平和記念公園の片隅に、小山のような塚がある。「原爆供養塔」だ。地下には引き取り手のない原爆被害者の遺骨が収められている。その数、七万柱。訪れる人もまばらなこの塚を、半世紀にわたって守ってきた「ヒロシマの大母さん」と呼ばれる女性がいた。

95歳の佐伯敏子さんは供養塔に日参し、塚の掃除をし、訪れる人に語り部として原爆の話をしてきた。佐伯さんも被爆者のひとりで、母を探しに投下直後の広島市内に入って放射能を浴び、原爆症に苦しむことになった。佐伯さんと供養塔との関わりは、養父母の遺骨が供養塔で見つかったことがきっかけだった。納骨名簿を調べ、骨壺を一つ一つ点検し、遺骨を家族のもとへ返していく作業を、佐伯さんは一人で続けてきた。その姿勢が行政を動かし、多くの遺骨の身元が判明した。しかし、1998年に佐伯さんは病に倒れ、寝たきりになってしまう。

著者が佐伯さんと出会ったのは、そんな矢先だった。佐伯さんの意志を継ぐかのように、供養塔の中の、名前が判明している「816」の遺骨の行方を追う作業を始める。名前、年齢、住所まで書かれているのに、なぜ引き取り手が現れないのか? そんな疑問から始まった取材は、行政のお役所的対応やプライバシーの問題、そして70年の歳月という分厚い壁に突き当たる。しかし、著者は持ち前の粘り強さを発揮し、遺骨の行方を一つ一つ追っていく。

すると、存在しないはずの「番地」や「名前」が現れ、祭られたはずの死者が「実は生きていた」など、まるで推理小説のような展開を見せる。また、名簿のなかの朝鮮人労働者の存在や、遺骨をめぐる遺族間の争いといった生臭い現実にも直面することになる。さらに、あの劫火の中、死者たちの名前を記録した少年特攻兵たちの存在も分かった。

あの日、広島で何が起きたのか? 我々は戦後70年、その事実と本当に向き合ってきたのか。これまで語られることのなかった、これはもう一つのヒロシマ、死者たちの物語だ。

広島勤務を命じられた新人の放送局員は、好むと好まざるとにかかわらず原爆という重いテーマを一生抱えることになります。戦後毎年のように特集番組が放送され、いっけん語り尽くされたように見えるテーマを前に、取材者は基本に立ち返って証言に耳を傾けて歩くのです。

足を棒にして聞き回ることで得た証言によって、取材者がそれまで思い込んできた予断が覆されることもあります。そうした発見が取材者である放送人の足腰を鍛え、事実を見る目を広げるのだと思います。

人に寄り添って取材をすすめるうちに、戦後の風化や高齢者介護の問題が見えてくる。さらに足を踏み込むと家族の問題や隠された戦争の実態が姿を見せる。一筆書きでダンジョンを探検するように、封印されてきたパノラマが現れてきます。そして、それは私たちを取り巻く世界のありようだということを読者は実感します。

本作は、取材者のありようを考える上でも読んでおきたい一冊です。「ドキュメンタリーの基本は人」であること、「真実は事実の積み重ねの中から浮かび上がる」こと、「判断は読者にゆだね、取材者は事実の発掘と整理に集中する」ことなどです。

事実関係は研究機関や行政当局が収集しているではないか、素人の取材者が集めてきた情報にどんな価値があるのか、そんな声を聞くことがあります。極めつけなのが解決済みの話だなどといわれることもあります。そんなことで「疑いの目」を捨ててはいけません。「本当はどうだったのか」誰もが知りたいのは事実です。この本は事実と向き合う心構えを教えてくれます。

売れると判断した書店員は店頭に山積みしました。 ノンフィクション冬の時代といわれる中で孤軍奮闘といった役回りです。

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原爆供養塔 [ 堀川惠子 ]
価格:1890円(税込、送料無料)


 

*1:1969年広島生まれ。広島大学卒業後1993年に広島テレビ放送へ入社。報道記者・ディレクターを経て、2004年に報道部デスクを最後に退社。2005年よりフリーのドキュメンタリーディレクターとして映像番組を制作する。また、制作した映像番組の内容を文章作品としても発表している