「撮影していたらフィルムを没収された」とベテランのカメラマンが話していました。
夥しい数の人たちが埋め尽くした広場を、大勢の人が取り囲み、大騒ぎになっています。その場に立ち会い様子を撮影していたニュースカメラマンは、ただならぬ気配を感じました。
声をかけてきたのは撮影に同行していた現地の役人です。
普通ならカメラマンは報道関係者という特別の扱いを受けるのですが、この時ばかりは様子が違いました。撮影したフィルムをカメラから取り出せと言われたのです。
カメラマンはとっさにポケットから生フィルムを取り出して、それを渡しました。すり替えたのです。そして未現像の撮影ずみフィルムを急いで下着の中に隠しました。
フィルムは密かに放送局に運ばれ、スクープ映像として放送されました。
権力者が自分に都合の悪いことを隠そうとする行為は、今に始まったことではありません。
八九六四 「天安門事件」は再び起きるか
1989年6月4日、中国の“姿”は決められた。タブーに挑む大型ルポ!
「“その事件”を、口にしてはいけない」
1989年6月4日、中国の“姿”は決められた。
中国、香港、台湾、そして日本。
60名以上を取材し、世界史に刻まれた事件を抉る大型ルポ!!
この取材は、今後もう出来ない――。
一九八九年六月四日。変革の夢は戦車の前に砕け散った。
台湾の民主化、東西ドイツの統一、ソ連崩壊の一つの要因ともされた天安門事件。
毎年、六月四日前後の中国では治安警備が従来以上に強化される。スマホ決済の送金ですら「六四」「八九六四」元の金額指定が不可能になるほどだ。
あの時、中国全土で数百万人の若者が民主化の声をあげていた。
世界史に刻まれた運動に携わっていた者、傍観していた者、そして生まれてもいなかった現代の若者は、いま「八九六四」をどう見るのか?
各国を巡り、地べたの労働者に社会の成功者、民主化運動の亡命者に当時のリーダーなど、60人以上を取材した大型ルポ
語り継ぐことを許されない歴史は忘れさられる。これは、天安門の最後の記録といえるだろう。